W1SAで往く『兵どもが夢の跡』〜群馬県 寺尾茶臼山城〜
こんにちは、ダートスポーツ スーパーバイザーの宮崎です。
この時期、ツーリングにもいけませんので、撮り貯めていた山城ネタをご紹介します。
前回、群馬県『山名城』巡りをご紹介しましたが、こちらも群馬の山城、『寺尾茶臼山城』です。
山名城、根小屋城と地理的にも並ぶ城です。
鎌倉時代に築城されたとされ、戦国時代まで残っていた城。この3城は戦略的に並んで立つ城だったのでしょう。
寺尾茶臼山城の変遷は、どうやら明らかではないものの、鎌倉時代は新田義重、南北朝時代はその弟の脇屋義助、村町時代に和田小太郎、そして戦国時代は武田氏のよる管理だったのでしょうか。戦国時代は『鷹ノ巣城』と呼ばれていたところです。
標高168mの低山にある城ですが、
W1SAで城に向かうと、それらしき山が見えてきました。
丁寧にも駐車場に案内板があるので、先に目を通して行きます。
168m、なんて余裕、ではありますが、いざ見上げると、、、、
あれを、これから登るのか、、、、、、、
見ると、地上から頂上まで階段を駆け上ったり降ったりしているご年配の方。元気が良いですね!
ようやく登り下を見下ろすと、、、、結構な迫力。
高所恐怖症の方は、、、、少し怖いかも。
登ったところが南郭。
このイラストを見ると形状が理解しやすいです。
南郭からアクセスして、二郭、そして本郭へ。
少し歩くと『堀切』がありました。
尾根に作られた堀で、尾根沿いの侵入を防ごうという防御システムです。
外敵者の侵入を遅くするために、歩きにくくしている山城。
人の手で開削している形状が残っています。
今は地元の方達が整備してくれていますので、とても歩きやすいです。
ということで堀をそのまま進みます。
ここで二郭に出てきました。
こちらは『武者走り』
土塁の内側に設けられた通路です。
武者達のシルエットを想像しながら『武者走り』を眺める。
武者は、ここをどのように闊歩していたのでしょうか?
『矢倉合』『堀』などここは全てのエリアに看板が立っていてわかりやすいです。
なんと井戸跡まで残っていました。
確かに少しえぐれたような、穴が塞がっているようなところでした。
山城にとって、水の確保は死活問題。万が一籠城した際にも
井戸、湧き水などがあるとないのでは大違いです。
そして、最後に本郭へ。
鳥居がありましたので、一礼して中へ。
屋根付きのベンチでしばし休憩。
山城の醍醐味は、本郭からの眺めですね。
眼下の根小屋町を眺め、この城はどんな役割があったのか気になりました。
この地域の3城の連携が肝要だったと思いますが、その働きや史実は残っていないようなので想像するしかないのかもしれません。
室町時代の和田小太郎。茶臼山城を再興したという伝承だけが、残っています。
個人の活動、全てが記録される現代人には、山城は想像を掻き立てる最高の遺構だと思うのです。
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。